瞑想事例①:かつての嫌な思い出をどう対処するか?

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瞑想をすると、かつての嫌な思い出も出てくることがあります。

「友達がいなくて不安だ」心の不安を無視した結果、違和感が残り続けたことがあります。

私もかつてそんな感じでした。

 

1人でやることに不安がはびこり、何事も友達と一緒にしないと不安だったのです。

 

できるだけ人と同じ講義をとって、ほかの人と同調すれば、自分は安心感に浸れるような気がした。

 他の人と同じ歩調で、同じように決めて、やらなければいけない。

そうしないと、人にいじめられるし。

あれ、なんでいじめられていたころのことを思い出すのだろう。

 

 

友達がいないと不安だという心の声を聴いたら、昔のいじめられた記憶がよみがえってきた。

だって学校の先生たちはそう教えたじゃないか。

いじめられても協調性を重んじなさいって。

私の心を苦しめたじゃないか。

逃げると成績が悪化する。

逃げないことが正しいことだと、いじめを容認したのではないか?

環境を自ら構築しておいて、何を言っているのだ。

だから、人と同調することが前提条件なのだ。

私にとって生死をわける、デットラインだと思っていた。

 

▼教師なんていらない。

私に苦痛を刻み込んだ人間がいること自体許せない。

教師なんて職業はなくなってしまっていいと本気で思っている。

人にいじめを提供する職業なんて、人がやっていい職業ではない。

なくなればいい。

年収が170万円とか言っているけど、だから何だというのか?

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私にとっては、いじめの首謀者だ。

自分の年収のことしか気にしないのだ。

別にどうでもいいのだ。

 

公教育の重要性とかふざけたことを主張して、長時間だらだら働いて、いじめも通報できない人間に、仕事をしているとかそんな話通用するのだろうか?

子供をいじめて、自殺させるような環境を作っているくせに、どうしてそこまで自分の給料の話をするのか?

お前らの待遇なんてどうでもいいから、俺をいじめたやつらを裁判所へ連れて行けよ。

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私と同じように考えている人間は少ないのかもしれない。

だけど、絶対0ではない。

だって、私もいじめの被害者だからだ。

そんな風に、考えても僕の不安感は全く消えなかった。

教師が原因なのは間違いないのに。

閉鎖的な環境でいじめられたのが原因だということが間違いないのに。

なのにどうして、私のいら立ちや不安は消えないのか?

 

 

「友達がいなくて不安だ」と考えた時を振り返ってみた。

振り返ると同時に、目をつぶって、深呼吸をしてみた。

不安だと思っているときの自分の気持ちを素直に認めてみた。

すると、子供のころの自分が出てきて

 

「僕はとっても苦しいです。とっても不安です。自分を認めてくれても、認めてくれなくても、誰か何か私の周りに人が近くにいないと不安です。だけど、いじめられたくない。だからいつも不安だ。

 

と言った。自分の気持ちがわかったとたん、ほかの人や環境を責める気持ちが弱くなった。そして、子供のころの自分に感謝したくなった。

「正直に言ってくれてありがとう」

僕が正直に言うと、子供のころの自分が喜んでいる。

「僕は助けてくれなかった教師や学校教育という制度を一生恨むと思う」

子供のころの自分がが言うと、

「それでいいよ。だってそれ位ひどいことをしたんだもん」

と僕は同意した。さらに

「僕は、あんなやつらいなくなってしまえばいいんだと思っています」

と子供のころの自分がいうと、僕はわかったのです。

 

「僕は人に自分を認めてもらいたくて、友達を作ろうと一生懸命だったけど、実際は、自分の気持ちを認めてくれる存在がほしかっただけだったんだ。そして、自分を認めている存在は、いつも自分の中にいる

 

 言葉や行動に出す前に、その時の自分の気持ちを認めることで、僕は自分の気持ちを分かってくれる人に出会った、そんな自信を得ることができました。

 すると、今まで不安でいっぱいだった気持ちがスルスルとほどけていき、心の中にあった違和感が消えていきました。

 

▼教師という仕事について

教師という仕事を素晴らしい仕事と思う方は幸せ者なんだと思います。

そして、どうしてこの仕事がそこまで冷遇されているのか?

それを考えると、過去にやってきた結果が今になって出てきているからだと思います。

潜在意識の中にある数十年前の「教師」「公務員」の実体験。

それは、血塗られた黒歴史。

いじめられていた人間たちが、「賃金」という形でいじめ返しているだけという

悲惨な構図。

しかも、それは関係のない若い世代で、お金をたくさんもらっている当事者ではないということです。

 

私は、自分の気持ちに気づくことで、「友達がいなくて不安だ」という気持ちの正体(自分に認めてもらいたいという気持ち)に気づくことができ、おまけに違和感(どうして友達がいなくて不安なのに、人から距離を置いているのだろうという違和感)を取り除くことができました。

 

非常にありがたいことです。そして、教師の皆さんへの恨みは変わりません。

あなたたちを許すつもりは毛頭ありません。

 

この苦しい気持ちは、私の人生設計に大きな影響を及ぼしたのですから、あなたたちも、人生設計を狂うような待遇で暮らしてください。 

 

いいじゃないですか? 殴られたり暴力振るわれたりしないんだから。

 

年収もらえるだけいいんじゃないでしょうか?

 

私は、私を認める代わりに、教師への恨みは貫くことに決めました。

 

 

▼瞑想終了

瞑想をする上で、大事なことがあります。

瞑想は、いいことも悪いこともそのまま思い出します。

 

しかし、それを受け止めるというより、自分の出来事を

客観的に見続けている感覚を身につけることが重要なのです。

 

客観的に見ていると、自分のことなのに、映像となって出てくるのです。

出てきた映像はやがて、別の感覚に集中すると、遠く離れていくのです。

そうすると、「どうして自分はこんなに執拗に考えていたんだろう」と思うようになるのです。

忘れるか忘れないかを期待しないで行う瞑想には、そういった効果があるのです。

瞑想は、予想外のトラウマを、簡単に思い出すことがあるのですが、それをまるでどうでもいいかのように飛ばしてしまうことがあるのです。

 

 

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